大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)5444号 判決 1961年8月16日
原告(第五四四四号事件) 松田万次郎 (第五四四六号事件) 富和商事株式会社
被告 日本坩堝株式会社 外一名
主文
被告等は、それぞれ、原告松田万次郎に対し金七〇万円及びこれに対する昭和二八年四月八日以降右金員完済に至る迄年六分の割合による金員を、原告富和商事株式会社に対し金七〇万円及びこれに対する昭和二八年五月二六日以降右金員完済に至る迄年六分の割合による金員を支払わなければならない。
訴訟費用は被告等の負担とする。
この判決の主文第一項は各原告において被告日本坩堝株式会社に対しては各金二三万円の担保を供した場合に、被告天和興業株式会社に対しては無担保で、それぞれその原告より仮りに執行できる。
事実
第一、当事者双方の申立
一、請求の趣旨
(1) 第一次請求の趣旨
主文第一、二項同旨の判決及び担保を条件とする仮執行の宣言を求める。
(2) 第二次請求の趣旨
被告日本坩堝株式会社は、原告松田万次郎に対し金六五万二九六〇円及びこれに対する昭和二八年四月八日以降右金員完済に至る迄年五分の割合による金員を、原告富和商事株式会社に対し金六二万六二九〇円及びこれに対する昭和二八年五月二六日以降右金員完済に至る迄年五分の割合による金員を、それぞれ支払わなければならない、との判決を求める。
二、被告等の申立
原告等の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。との判決を求める。
第二、当事者双方の主張
A 原告等と被告日本坩堝間の関係
一、請求原因
(一) 第一次請求の請求原因
(1) 被告日本坩堝は、かねてから被告大阪事務所長訴外伊藤友武に対し無制限なもしくは一月当り一〇〇〇万円を限度とする手形振出代理権を与えていたところ、右訴外伊藤は右の権限に基き左記各振出日時に訴外生駒俊一を手足として使用して「日本坩堝株式会社大阪事務所所長伊藤友武」名義をもつて左記の約束手形二通をそれぞれ振出した。
(A) 額面七〇万円、振出日昭和二八年二月七日、支払日同年四月七日
(B) 額面七〇万円、振出日昭和二八年三月三日、支払日同年五月二五日
支払地振出地何れも大阪市、支払場所株式会社大和銀行平野町支店、受取人天和興業株式会社
原告松田は右(A)の約束手形を、原告富和商事(当時の商号は河副商事株式会社。以下においても同様)は右(B)の約束手形を、それぞれ被告天和興業株式会社から裏書譲渡を受けてこれが所持人となり、いずれも支払期日に支払場所に呈示して支払を求めたが、被告は何れもその支払を拒絶した。よつて被告に対し、原告松田は右(A)の約束手形金七〇万円及びこれに対する満期の翌日である昭和二八年四月八日以降右金員完済に至るまで手形法所定の年六分の割合による法定利息の、原告富和商事は右(B)の約束手形金七〇万円及びこれに対する満期の翌日である昭和二八年五月二六日以降右金員完済に至るまで手形法所定の年六分の割合による法定利息の、各支払を求める。
なお、被告は本件各約束手形が振出人の署名を欠く旨主張するが、右各約束手形に表示された「日本坩堝株式会社大阪事務所所長伊藤友武」なる振出名義は、被告の代理人であつた訴外伊藤友武がその代理資格を表示して代理人として記名捺印したもので、代理資格の表示には一定の方式の如きものは存在せず、要はその代理人が本人のために手形行為をなすものであることを認め得る程度の記載があれば足りるから、右各約束手形になされた振出人としての記名捺印は代理人の手形行為として有効であつて、何等手形要件たる振出人の署名もしくは記名捺印を欠缺したことにはならない。
(2) 仮りに訴外伊藤の本件各約束手形の振出がその代理権の範囲を超えていたとしても、原告等は訴外伊藤に本件各約束手形振出につき代理権ありと信ずるにつき正当の理由があつたものである。即ち、原告等は、本件各約束手形と同一の振出名義を有する手形が原告等の各本件手形取得前相当長期に亘り一般市場を流通し、満期には確実に支払がなされていた事実を知つており、また原告等自身、本件各約束手形取得以前に同一振出名義を有する約束手形を割引取得したことがあり、右手形は満期に支払がなされたのであつた。その上、原告等は、確実を期するため、本件各約束手形の振出の真否について、原告松田は訴外小西文典を、原告富和商事は訴外建部安正を、それぞれ使者として被告大阪事務所及び株式会社大和銀行平野町支店に照会したところ、いずれについても真正なる旨の回答がそれぞれ得られたので、各手形をいずれも訴外伊藤の代理権の範囲内で振出されたものと信じて取得したのである。従つて被告は原告等に対して本件各約束手形につき前記のとおり振出人としての責を免れない。
(3) 仮りに本件各約束手形は訴外伊藤がその代理権に基き訴外生駒を手足として使用して振出したものでないとすれば、本件各手形と同一振出名義の手形振出につき被告復代理人としての権限を有していた訴外生駒がその権限に基き権限の範囲内で振出したものである。即ち、
(イ) 被告について手形振出の代理権を有していた訴外伊藤は、本人たる被告の許諾を得て、(A)右伊藤の在阪不在阪時を問わずもしくは同人の大阪不在中のみについて、(B)同人の有する権限に等しい範囲においてもしくは融通手形の振出のみについては毎月一、〇〇〇万円を限度としての範囲内で、右生駒を手形振出についての被告復代理人に選任し、右生駒は右の範囲内で前記名義による手形振出の代理権を有していたのである。
(ロ) 仮りに然らずとするも訴外伊藤は復代理人選任に付き已むを得ない事情の下にあつた。即ち、同人は本件各手形振出当時以前から被告の取締役、本社営業部長、大阪事務所長及び被告の子会社たる訴外日坩商事株式会社の取締役、大阪支店長、同支店経理課長などの職を兼務していたため、多忙を極め、被告大阪事務所には不在がちであつた。しかるに被告大阪事務所では屡々手形発行を猶予できない事情があつたため、右伊藤は訴外日坩商事大阪支店における自己の部下でありかつ被告大阪事務所の手形発行事務を依嘱していた訴外生駒を、
(A) 右伊藤の在阪時を問わずもしくは同人の大阪不在中のみについて、
(B) 同人の有する権限に等しい範囲でもしくは融通手形についてのみは毎月一〇〇〇万円を限度としての範囲内で、被告のため手形振出の復代理人に選任し、右生駒は右の範囲内で前記名義による手形振出の代理権を有していたのである。
なお被告は訴外生駒が本件各約束手形を振出すについて訴外伊藤の機関の地位にあつたことについて原告等と被告間に自白が成立しているので、新たにこれと異る復代理の主張をすることは自白の撤回に該当し許されないと主張するが、訴外生駒が訴外伊藤の機関の地位にあつたかそれとも被告復代理人の地位にあつたかの点は事実上の主張ではなく法律上の主張であるから自白は成立していない。
(4) 仮りに訴外生駒がその有していた手形振出代理権の範囲を超えて本件各約束手形を振出したものとしても、右(2) に述べたとおり原告等は本件各約束手形が正当な権限に基いて振出されたものと信ずるにつき正当の理由があつたものである。よつて被告は原告等に対し本件各約束手形につき前記のとおり振出人としての責任を免れない。
(5) 仮りに以上の主張が何れも認められないとしても、既述の如く被告につき手形振出代理権を有していた訴外伊藤は、その代理権に基く「日本坩堝株式会社大阪事務所所長伊藤友武」名義の約束手形振出については常に訴外生駒を手足として使用していたのであり、右生駒は右伊藤から同人の機関として手形発行事務を扱う権限を与えられたものであるところ、たまたま右伊藤の指示の範囲を超えて本件各約束手形を振出したものであり、この関係は代理人がその有する権限の範囲を超えた場合と実質的には異らないから、表見代理に関する規定を類推適用すべきものである。
従つて被告は本件各約束手形について支払の責を免れない。
(二) 被告日本坩堝に対する第二次請求の請求原因
仮りに本件各約束手形がいずれも訴外生駒によつて何等の権限なく振出された手形であるとすれば、原告等は二次的に被用者の不法行為に基く使用者の損害賠償義務の履行を求める。
即ち、被告の子会社たる訴外日坩商事株式会社大阪支店の経理主任であつた訴外生駒俊一は、被告大阪事務所長訴外伊藤友武の指示に基き、被告のため被告大阪事務所の印鑑類の保管、手形小切手発行事務を行い、事実上親会社たる被告の使用人たる地位にあつたが、自己には機関としての手形発行権限しかないのに、訴外伊藤の指示に基かずに前記各振出日時に前記各約束手形を何等の権限なく作成して受取人被告天和興業に交付し、これにより原告松田をして昭和二八年二月一〇日前記(A)の約束手形につき金六五万二九六〇円を、原告富和商事をして同年三月五日に前記(B)の約束手形につき金六二万六二九〇円を、いずれも被告天和興業に対し手形買入の対価たる割引金として交付させて右各手形をそれぞれ取得せしめ、これらの手形はいずれも満期に支払を拒絶されたため、これにより結局原告等の各手形取得時において原告等に各支出金額相当の損害を蒙らしめた。この損害は被告の被用者たる訴外生駒が被告の事業の執行につき故意又は過失によつて原告等に加えたものに外ならないから、右生駒の使用者である被告は、原告松田に対し右損害額たる金六五万二九六〇円及びこれに対する昭和二八年四月八日以降右金員完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、原告富和商事に対し右損害額たる金六二万六二九〇円及びこれに対する昭和二八年五月二六日以降右金員完済に至る迄民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、各支払わねばならない。
二、被告の答弁
(一) 第一次請求の請求原因に対する答弁
(1) 被告が被告大阪事務所長訴外伊藤友武に対し手形振出の代理権を与えていたことは認めるが、右の代理権には一定期間毎に振出額の最高限度が定められてあり、同訴外人はその範囲内でのみ代理権を有したものにすぎない。また訴外生駒俊一が訴外伊藤の機関たる地位において本件各約束手形を振出したことは認めるが、右振出は右伊藤の意思に反してなされたものであるから、訴外伊藤が右生駒を使用して本件各約束手形を振出したことは否認する。原告等がその主張の如き各手形を被告天和興業から裏書譲渡を受けてこれを所持するに至つたこと、右手形をそれぞれ満期に支払場所へ呈示したことはいずれも知らない。
機関による手形行為が有効に成立するためにはその機関が本人のためにする意思を有すること及び本人がその機関をして手形を振出さしめる意思を有することの二つの要件を必要とするところ、本件各約束手形は訴外生駒が本人たる訴外伊藤の意思に反して自己の一存で何等の権限なく振出したものであるからその振出行為は偽造にかかるものである。
さらに本件各約束手形はそもそも手形要件たる振出人の署名を欠缺している。即ち会社が自ら手形行為をするにはその会社の代表機関がその代表資格及び会社のためにすることを示して自己の署名もしくは記名捺印をする方式によらねばならない。しかるに本件各約束手形の振出人署名欄にはいずれも「日本坩堝株式会社大阪事務所所長伊藤友武」なる記名と大阪事務所長印の押捺がなされているが、大阪事務所長の如きは会社の代表機関ではないから、右の記名捺印には有効な振出人の記名捺印としての効力を認めることができない。このように本件各手形は手形要件を欠缺して無効である。
(2) 本件各約束手形振出当時、これと同一振出名義を有する約束手形が長期に亘り一般市場を流通していたことは認めるが、原告等が本件各約束手形は訴外伊藤の権限の範囲内で振出されたものと信ずべき正当の理由を有したことは争う。
(3) 訴外生駒が本件各約束手形振出について訴外伊藤の機関たる地位にあつたことは原告等が先行自白しており、被告はこれを前記(1) のとおり援用したから、この点については自白が成立している。原告等が右と異り新たに訴外生駒は本件各手形振出について復代理人の地位にあつたと主張することは自白の撤回に当るから許されない。
しかし仮りにかかる主張が許されるとするならば、訴外生駒が本件各手形を振出したことは認めるが、訴外伊藤が被告復代理人選任権を有したこと、訴外生駒を右復代理人に選任したことはいずれも否認する。
(イ) 原告等主張の如くに被告が訴外伊藤に対し復代理人選任の許諾を与えたことはない。
(ロ) 訴外伊藤が原告等主張のような役職にあつてその職務多忙をきわめ、大阪事務所に不在がちであつたことは認めるが、復代理人選任に付き已むを得ない事情にあつたとの点は否認する。
(4) 訴外生駒が手形振出代理権を有していたことは否認する。その他の答弁は前記(2) で述べたところと同一である。
(5) 偽造の場合には表見代理の規定を適用すべくもない。
(二) 第二次請求の請求原因に対する答弁
訴外生駒が本件各約束手形を何等の権限なく振出したことは認めるが、同人が被告の被用者であること、同人の無権限振出と原告等に生じた損害との間に因果関係が存在することはいずれも否認する。
同人は訴外日坩商事株式会社の社員として同社大阪支店に勤務しており、被告とは関係なく、ただ事実上被告大阪事務所長であつた訴外伊藤友武に依頼されて印鑑類の保管手形小切手発行事務を行つていたものにすぎずその地位はいわば一私人たる訴外伊藤の被用者であつたに過ぎない。
また手形振出の偽造による不法行為は振出の直接の相手方たる受取人への手形の交付によつて完了し、受取人に生じた損害は不法行為者たる偽造者の予見の範囲内にあるからこれが賠償については不法行為者もしくは使用者に責任ありとしても、受取人以外の第三者に譲渡されるにおいては既に偽造者の予見を離れ全く受取人の意思一つにかかることとなるから、右手形振出行為の偽造と受取人以外の第三者が右手形取得により蒙つて損害との間には相当因果関係がない。
三、被告の抗弁
(一) 第一次請求についての抗弁
仮りに原告等主張事実が認められるとしても、本件各約束手形はいずれも被告天和興業の依頼に基き同被告をして金融を受けさせるために振出されたいわゆる融通手形であつて、原告等はいずれも右の事情を十分知悉し被告を害することを知つて本件各手形を取得したいわゆる悪意の取得者である。従つて被告は本訴請求に応ずる義務はない。
(二) 第二次請求についての抗弁
仮りに原告等主張事実が認められるとしても、原告等の主張する不法行為に基く損害賠償請求権については消滅時効が完成しているからこれを援用する。即ち被告は昭和二八年四月五日頃原告等から本件各約束手形の支払を求められた際、いずれも訴外生駒の偽造にかかる旨を告げて支払を拒絶し、かつ昭和二八年四月一一日の毎日新聞にその旨を広告して一般に周知せしめ、更に本訴においても原告松田に対しては昭和二九年四月六日付、原告富和商事に対しては昭和二九年六月八日付の各準備書面によりそれぞれ右偽造の事実を明らかにしているから、原告等は遅くとも右各準備書面によつて不法行為とこれによる損害及び加害者を知つたのである。然るに原告等は昭和三四年七月三日付準備書面においてはじめて不法行為に基く損害賠償請求権行使の主張をしたが、右請求権は原告等が損害及び加害者を知つた昭和二八年四、五月頃もしくは前記準備書面による告知の時から三年間これを行わないことによつて時効により消滅したのである。よつて原告等の本訴請求は失当である。
四、被告の抗弁に対する原告等の答弁
(一) 第一次請求についての抗弁に対して
被告主張の抗弁事実はすべて否認する。
(二) 第二次請求についての抗弁に対して
被告の時効援用の抗弁は時機に遅れた主張であるから却下を求める。
仮りに時機に遅れたものでないとすれば、原告等が被告主張の日時に本件各約束手形が訴外生駒より無権限に振出された事実を知つたとの点は否認する。
B、原告等と被告天和興業間の関係
一、請求原因
被告天和興業は、左記各約束手形の振出日時の直後頃、原告松田に対し左記(A)の約束手形一通を、原告富和商事に対し左記(B)の約束手形一通を、いずれも拒絶証書作成義務免除の上裏書譲渡し、原告等は右各手形を支払場所に呈示して支払を求めたところいずれも支払を拒絶されて現に右各手形を所持している。
(A) 額面七〇万円、振出日昭和二八年二月七日、支払日同年四月七日
(B) 額面七〇万円、振出日昭和二八年三月三日、支払日同年五月二五日
何れも振出人日本坩堝株式会社大阪事務所所長伊藤友武、振出地支払地共に大阪市、支払場所株式会社大和銀行平野町支店、受取人天和興業株式会社
よつて被告に対し、原告松田は右(A)の約束手形の償還義務の履行として金七〇万円及びこれに対する満期の翌日である昭和二八年四月八日以降右金員完済に至る迄手形法所定の年六分の割合による法定利息の、原告富和商事は右(B)の約束手形の償還義務の履行として金七〇万円及びこれに対する満期の翌日である昭和二八年五月二六日以降右金員完済に至る迄手形法所定の年六分の割合による法定利息の、各支払を求める。
なお被告は本件各約束手形が振出人の署名を欠いており手形要件を欠いた基本手形になされた裏書は何等の効力を生じないから被告は裏書人としての責を負わない旨主張するが被告日本坩堝に対して前記一、(一)、(1) で述べたと同一の理由により本件各約束手形は何等振出人の署名を欠缺していないから、その上になされた被告の各裏書は有効である。
二、被告の答弁
被告が原告等主張の各約束手形に原告等主張のような裏書をなしたことは認める。しかし本件各約束手形は手形要件を欠缺しているから、かかる基本手形上になされた裏書は何等法律上の効力を生じない。この手形要件欠缺の点については被告日本坩堝の主張を援用する。
第三、証拠関係
一、原告両名訴訟代理人は、弁論併合前の昭和二八年(ワ)第五四四四号事件において甲第一号証の一を提出し、証人伊藤友武、同生駒俊一の各尋問を求め、弁論併合前の昭和二八年(ワ)第五四四六号事件において甲第一号証の二を提出し、証人伊藤友武の尋問を求め、弁論併合後において甲第二ないし第五号証の各一、二、第六、第七号証を提出し、証人小西文典及び原告富和商事代表者河副美夫本人の各尋問を求め、乙第一号証の一ないし三、第二号証の一、二、第三号証、第四号証の一、二、第五号証の一ないし一五の成立はいずれも知らない。乙第六ないし第一四号証の成立はいずれも認める、と述べ、乙第八ないし第一三号証を利益に援用した。
二、被告日本坩堝訴訟代理人等は、弁論併合前の昭和二八年(ワ)第五四四四号事件において乙第一号証の一ないし三、第二号証の一、二、第三号証を提出し、証人岸宗清の尋問を求め、弁論併合前の昭和二八年(ワ)第五四四六号事件において乙第一号証の一ないし三、第二号証の一、二、第三号証(以上何れも第五四四四号事件における同一番号の乙号証と同一のもの)を提出し、証人伊藤友武、同岸宗清の各尋問を求め、弁論併合後において乙第四号証の一、二、第五号証の一ないし一五、第六ないし第一四号証を提出し、甲第一号証の一、二の各表面振出人署名欄の記名捺印がいずれも被告日本坩堝のゴム印及び所長印によるものであることは認めるが振出部分の成立は否認する、甲第二号証の二の裏面裏書部分の成立は知らない。
甲第二ないし第五号証の各一、二、の成立はいずれも認める、甲第六、第七号証の成立はいずれも知らない、と述べた。
三、被告天和興業訴訟代理人等は、甲第一号証の二の裏面第一裏書欄の成立は認めるがその余の部分の成立は知らない、甲第一号証の一、第二ないし第五号証の各一、二、第六号証の成立はいずれも認める、と述べ、甲第七号証の認否をしなかつた。
理由
第一、原告両名と被告日本坩堝の関係
一、被告代理人訴外伊藤友武の代理権に基く本件各手形振出の主張について被告がかねてから被告大阪事務所長訴外伊藤友武に対し、手形振出の代理権を与えていたことは原告等と被告間に争いがない。しかし右訴外伊藤の代理権の範囲については争いがあるからまずこの点について判断する。
成立に争いのない甲第二号証の二、第四号証の二、第五号証の二、乙第八号証の二(但し後記措信しない部分を除く)第一一、第一二号証の各記載及び証人伊藤友武(併合前の第五四四四号事件における分)、同生駒俊一の各証言を総合すれば次の如き事実が認められる。
被告は戦前から関西地区所在の被告工場と東京所在の被告本社との事務連絡機関として大阪に出張所を設置していたが、戦後昭和二三年に至つてこれを大阪事務所とすると共に訴外伊藤友武を右大阪事務所所長に任命し、右の工場本社間の事務連絡、黒鉛輸入に関する事務、本社への送金事務などを行わせることとした。ところで被告はかねてから訴外日坩商事株式会社と密接な関係があり、右訴外会社は実質的には被告の販売部門というべきもので、その主要役員は監査役を除く外すべて被告の役員がこれを兼ねており、被告はその製品のすべてを右訴外会社に販売し同訴外会社はこれを一手に引き受けて他へ売り捌く状態にあつたが、右訴外会社は業界において十分の信用を獲得していなかつたので、被告に対し経常的に金融面での援助を求め或いは債務の決済のために被告に好意手形発行を求めることが多かつた。そして被告は関西方面に二つの工場を有しまた製品の需要も関西地方に多かつたところから、訴外日坩商事は関西においてひろく営業を行い(被告大阪事務所には所長一名を置いたに過ぎないが、訴外日坩商事は大阪に支店を置きその職員は二〇名を超えていた)、被告に対し資金面の援助もしくは手形の融通を求める必要も関西において著しいものがあり、以上のような事情から被告は、被告大阪事務所開設と同時にその所長たる訴外伊藤に対し被告を代理して被告社長名義による手形振出の権限を与えた。しかるに被告及び訴外日坩商事は、昭和二六年頃より、その当時の政府の金融引締政策の余波を受けて金融操作に行詰まり、銀行等正規の金融機関の利用も飽和状態に達したので、やむなくいわゆる街の闇金融を利用することによつて右金融難を打開することとなり、専ら被告大阪事務所をして右運転資金調達の衝に当らしめることとし、取締役会の議を経て被告代表取締役から新たに訴外伊藤(同人は昭和二四年頃より被告取締役の地位にもあつた)に対し右伊藤の名義をもつて手形振出及び銀行取引をなすべき権限を与えたが、右手形振出に関しては本社において資金必要の都度調達すべき額を指示することもあつたが、被告大阪事務所において資金の必要あるとき或いは訴外日坩商事及びその他取引先の会社に対して好意手形を発行するなどの必要あるときはその必要に応じて随時手形を振出すことを被告において認めていたのである。
成立に争いない乙第八号証の一部及び乙第一〇号証の記載には右認定に反する部分もみられるが、右の部分は前掲各証拠に照らしてたやすく措信できず他に右認定を覆すに足る証拠はない。右認定の事実によれば訴外伊藤は被告より何等制限のない包括的な手形振出代理権を授与されていたものと認めることができる。
そこで次に本件各約束手形が訴外伊藤友武の代理権に基きその機関たる訴外生駒より振出されたものであるか否かを検討すると、成立に争いのない甲第二号証の二、第四号証の二、第五号証の二、乙第八ないし第一二号証の各記載及び証人伊藤友武、同岸宗清(何れも弁論併合前の両事件における分)、同生駒俊一の各証言を総合すれば次の事実が認められる。
前述の如く、被告は訴外日坩商事と親密な関係にあつたこと、また被告大阪事務所には所長たる訴外伊藤のほか一名の職員も置かれず、右伊藤は被告取締役、本社営業部長、大阪事務所長のほか訴外日坩商事本社営業部長、同大阪支店長、同大阪支店経理課長を兼務して多忙であつたことなどから、被告大阪事務所は訴外日坩商事大阪支店の中に置かれ、専ら同事務所の事務処理は前述の如き被告と訴外日坩商事との連繋関係並びに訴外伊藤の被告及び訴外日坩商事内における地位から事実上日坩商事大阪支店の社員をして随時補助せしめていたのであつて、訴外伊藤は前記の如く被告並びに訴外日坩商事の各種の役職を兼務していて多忙であつたのみならず、被告本社営業部長として月の半ばは東京滞在を余儀なくされたため、被告大阪事務所長伊藤友武名義の記名印、所長職印その他被告大阪事務所に関する各種印鑑類の保管を被告もしくは訴外日坩商事を通じて長年勤務し右伊藤の信を集めていた訴外日坩商事大阪支店経理主任訴外生駒俊一に委ね、右伊藤の在阪中は同人が右生駒に個々的もしくは概括的に指示を与えて同人をして「日本坩堝株式会社大阪事務所長取締役伊藤友武」なる名義もしくは本件各約束手形と同一の振出名義により約束手形を作成させて振出し、これにより金融を得る場合にはこれを右生駒の裁量によつて適宜の金融業者に割引かせて金融操作をさせており、また右伊藤の上京等による大阪不在中の事務処理のためには右生駒に対し事前に概括的指示を与え、緊急の場合に限り右生駒の一存で前同様名義の約束手形を振出させた上、事後に承認を与えることとしていたが、前記方法による金融がその後約二年に亘つて継続するなど次第に経常化ししかも月額七、八〇〇万円以上にも達する状況に至つたため、右伊藤の在阪中は以前同様直接その都度或いは概括的に指示を与えて前記手形を振出させるが、その大阪不在中は右生駒をして何等訴外伊藤の指示を俟たず適宜必要に応じ右生駒の一存で前記各名義の手形を振出させることとするに至つたこと、かくて右生駒は右伊藤の在阪中はその個別的もしくは概括的指示に基き、大阪不在中は全く自己の一存で適宜前記各名義による手形を作成した上、これを被告天和興業に交付して同被告に裏書をさせ、右手形を商業手形であるかの如く紛飾して同被告をしてこれを市中の金融業者に割引かしめ、その割引金を被告大阪事務所に持参させて金融を図つていたが、その中被告天和興業が割引金を持参しなくなつたため右金融操作に支障を来たし、先に振出して流通に置いた手形が不渡りとなつて被告の信用を失墜するのを畏れるのあまり、被告天和興業から求められるままに訴外伊藤の大阪滞在中であると否との別なく右生駒の一存により次ぎ次ぎと本件各手形と同様の名義をもつて約束手形の振出を続けたところ、その後も被告天和興業からの割引金入金は思わしくなく、加うるに昭和二七年末頃には金融情勢も極度に逼迫して手形割引も困難となつたため、一旦同時に多数の手形を発行し、所要の資金に見合うだけの手形割引ができた場合に残余の手形を回収するなどの方法により金融を得ることにしたところ、回収不能の手形も生ずるに至り、このようにして右手形の振出額は雪だるま式に増大していつたものであり、本件各手形も右のような経過のうちに訴外伊藤の指示なく訴外生駒がその一存で振出したものであつた。
前掲各書証の記載並びに各証人の証言中、以上の認定に反する部分はこれを相互に対比して措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。右の如き事実からすれば本件各約束手形は訴外伊藤が訴外生駒俊一を手足として使用して振出したものということができないから、この点の原告等の主張は容れることができない。
二、被告代理人訴外伊藤の権限踰越の振出による表見代理の主張について。
右認定のとおり、本件各約束手形は訴外伊藤が訴外生駒を手足として振出したものとは認めることができないのであるから、原告等が訴外伊藤に本件各手形振出につき代理権ありと信ずるにつき正当の理由があつたか否かの点について判断するまでもなく、この点に関する原告等の主張も失当である。
三、被告復代理人訴外生駒による振出並びに権限踰越の振出による表見代理の主張について。
(イ) 被告は、訴外生駒が本件各約束手形振出について訴外伊藤の機関たる地位にあつたことについては原告等が先行自白しており、被告はこれを援用したから、この点については自白が成立したのであつて、原告等が訴外生駒について被告復代理人の地位にあつたと主張することは右自白の撤回に当るから許されない旨主張する。
よつてまずこの点についてみると、本件において、被告代理人の地位にあつた訴外伊藤の指示に基き訴外生駒が本件各約束手形を振出したことは、原告等が請求を理由あらしめるために主張立証すべき主要事実であり、かつこの事実はその存在が認められるときは原告等に有利な事実であるから、自白の意義について如何なる見解をとるにしても、原告等の右の主張は何等先行自白の意味を有せず、むしろ被告のなした原告等の右の主張に一致する陳述こそ自白に当るものといわなければならない。従つてまずこの点において被告の主張は失当であるが、この場合、更に原告等が主張し被告がこれを自白した事実について原告等がその主張を撤回すべからざる拘束を受けるか否かについて考えてみると、いわゆる自白の当事者に対する拘束力は、自白者(本件においては被告)についてのみ認むべきものであり、自白者の相手方(本件においては原告等)は、禁反言の見地から特に主張の撤回を許されないか或いは両当事者間に争いない当該事実が当事者双方についてそれぞれ自白としての意味を有するが如き場合は格別として、一般にはその主張の撤回を自由に許されて然るべきものと解される。のみならず、本件においては、原告等が従来の請求を理由あらしめる事実に追加して仮定的に別個の請求を理由あらしめる事実を主張したものであつて、従前の主張はこれをこのまま維持しているのであるから、そもそも従前の主張を撤回したわけのものではない。従つて原告等のかかる主張は何等妨げないのであつて、裁判所は当事者間に争いなき従前の主張について検討した結果、この主張によつては原告等の請求を正当と認めることができない場合には、更に、追加的に提出された他の主張に基いて原告等の請求の当否を判断することができるものといわねばならない。
(ロ) そこで訴外生駒が被告復代理人の地位にあつたかどうかを考えると、成立に争いない甲第二号証の二、第五号証の一(後記措信しない部分を除く)、乙第一二号証の各記載及び証人生駒俊一の証言を総合すれば、訴外伊藤の被告並びに訴外日坩商事における職務上の地位とこれに基く同人の多忙さについては被告も十分これを承知し、少くとも右伊藤の上京、出張その他による大阪不在中については特に同人の指示を俟たずに訴外生駒をして手形を振出させることを承認しており、訴外伊藤の大阪不在中には、被告本社から直接訴外生駒に対し、被告大阪事務所において調達して本社に送金すべき金額を指示して手形を振出させることもあつた事実が認められ、成立に争いない甲第四号証の二、第五号証の一の一部分、乙第九ないし第一一号証の各記載及び証人伊藤友武(併合前の両事件における分)、同岸宗清(併合前の第五四四六号事件における分)の各証言をもつてしても未だ右認定を左右するに足らず、他に右認定に反する証拠はない。右認定の事実からすれば、被告は訴外伊藤に対し同人の大阪不在中における手形振出のために復代理人選任権を授与していたもので、訴外伊藤は右復任権に基き訴外生駒を右伊藤の大阪不在中における手形振出のために復代理人に選任していたものと認めるのが相当である。
(ハ) 進んで原告等主張の本件各約束手形が右生駒において被告復代理人としての権限に基きこれを振出したものであるかどうかについて判断するに、前記一、で認定したところにみる如く、本件各約束手形はいずれも右生駒の作成にかかるものであるが、右生駒は、右各手形振出当時の昭和二八年二、三月頃、訴外伊藤の大阪不在中であると否との別なく手形振出を続けていたもので、本件各手形の振出が訴外伊藤の大阪不在中になされたものか在阪中になされたものかは本件全証拠によるも明らかではない。そして右(ロ)で認定したとおり、訴外生駒は訴外伊藤の大阪不在中についてのみ手形振出の代理権を与えられていたものであるから、本件各約束手形が訴外伊藤の大阪不在中に振出された事実が認められない以上、これらが右生駒の被告復代理人としての権限の範囲内で振出されたものとは認めることができない。
(ニ) ところで原告等は更に訴外生駒の権限踰越の振出による表見代理の成立を主張する。そして右(ハ)に述べた如く、本件各約束手形が訴外生駒の代理権の範囲内で振出されたものか、それともその権限の範囲外で振出れたものかはいずれとも明らかではない。しかしながら右各手形は訴外生駒がその一存で訴外伊藤の指示によらずに右伊藤の在阪時不在阪時の別なく振出した一連の約束手形の中の一部であること、また訴外生駒が訴外伊藤の大阪不在中に限り手形振出の代理権を有していたことは前認定のとおりである。而して本件各手形が訴外伊藤の大阪不在中に振出されたものであれば、たとえその振出が被告の本意に副わなかつたとしても訴外生駒がその権限の範囲内で振出したものであるから被告はこれにつき責を負うべきものであり、また逆に本件各手形が訴外伊藤の大阪滞在中に振出されたものであれば、これが訴外生駒の無権代理行為と認められ、かつ被告との関係で表見代理の成立が認められる場合においては、これまた被告は本件各手形について責任を免れ得ない筋合のものであるから、仮りに本件各手形が訴外伊藤の在阪時に振出されたものとした上でもしこの表見代理の成立が認められるならば、結局被告は本件各手形が訴外伊藤の大阪不在中に振出されたものであるか大阪滞在中に振出されたものであるかは結局不明確であるにも拘らず本件各手形について振出人としての責任を負うべきものといわなければならない。そこで以下本件各手形が訴外伊藤の大阪滞在中に振出されたものと仮定した上で表見代理の成否について検討を進める。
(ホ) 原告等は訴外生駒による本件各手形振出がその権限の範囲外でなされたものとすれば右は無権代理行為であると主張するのに対し、被告は訴外生駒による本件各手形振出は手形振出行為の偽造によるものであると主張する。
そこでまずこの点について検討をすると、手形行為の無権代理と偽造の区別の標準に関してはいくつかの見解がある。まず通常の代理行為の方式(即ち本人のためにすることを示す代理文句を記載して代理人が自己の署名もしくは記名捺印をする方式)を備えながら代理権を欠いた場合が無権代理で、無権限に直接本人の名義を署名もしくは記名捺印として顕出せしめた場合が偽造であるとする見解があるが、代理人が手形上に直接本人の署名又は記名捺印を顕出して手形行為をしたいわゆる署名代理の場合を有効な代理行為と解する立場をとる以上はかかる見解を採ることはできない。
次に、いわゆる署名代理を有効な代理方式と認める立場において、無権代理と偽造の両者を区別する標準を、無権限代署者が内心本人のためにする意思でなしたか、自己のためにする意思でなしたかの点に求める見解があるが、偽造の場合にも追認や表見代理の規定の適用を肯定するならばいざ知らず、このような立場をとらない限りは、無権代理と偽造との間にはその効果に非常な相違があるのに、そのような重大な差異を生ずる両者区別の基準を主観的な無権限代署者の内心の意思の点に求めるのは妥当とは考えられない。
思うに表見代理の法理は、表見的事実を信頼した者と真実を主張する者との利害が対立衝突する場合に、そのいずれの犠牲において他方を保護するのが公正であり、また取引安全のため必要妥当であるかという利益較量的考慮に裏づけられたものであるから、表見代理の法理適用の前提となる無権代理と偽造の区別の基準を考えるについても、この点を考慮に入れて、当該無権限手形行為者と本人との関係並びに当該無権限手形行為者が当該手形行為をするについての外形的な附随事情からすれば、当該無権限手形行為者が本人の代理人として行為しても何等不自然ではないと認められるような場合で、しかもこれについては場合により本人に責任を生ずることあるもやむなしと認められる如き場合を無権代理とし、そのような事情が存しない場合を偽造として取扱うのが適当と考えられる。
これを本件についてみると、訴外生駒は訴外日坩商事大阪支店の経理主任たる地位にあり、身分的には被告社員たる地位にはなかつたけれども、訴外日坩商事と被告との間の密接な連繋関係のために、訴外日坩商事大阪支店における自己の直接の上司であり、かつ被告大阪事務所長であつた訴外伊藤の指示に基き被告会社の職務たる右伊藤名義の手形小切手発行事務、印鑑類の保管などの事務を専ら行つており、実質的には被告社員ともいうべき地位にあつたこと、右生駒は訴外伊藤の大阪不在中は伊藤名義で手形振出をなすべき代理権を与えられていたこと、本件各約束手形は被告が金融を得るために振出した手形を満期に決済するための資金を得んとして被告のために振出したものであることはいずれもすでに認定したところであつて、右の如き事情は訴外生駒が被告の代理人として手形を振出したものとしても何等不自然ではない事情が存し、しかもかかる事情については被告にも一半の責を負うべき理由があつたのであるから、本件各手形振出はいずれも偽造の場合ではなく無権代理の場合であるといわねばならない(なお、本人のためにする意思で手形行為をなした場合を無権代理とする見解によつてもこの結論は異らない)。
(ヘ) ところで、表見代理の法理によつて保護される「第三者」とは通常代理人の相手方としてこれと直接に行為した第三者に限られると解されているが、転輾流通する手形上の法律関係については、必ずしも直接の相手方たる第三者のみならずその爾後の取得者である第三者に正当の理由が備わつていた場合もまたこの者に表見代理の規定による保護が認められなければならない。
また民法第一一〇条にいう「其権限アリト信スヘキ正当ノ理由ヲ有セシトキ」とは、無権代理人が当該行為をなすについて代理権ありと相手方が信じかつかく信ずるにつきもつともな理由を有したことを意味すると解されるが、手形行為におけるいわゆる署名代理の場合には直接の相手方以外の第三者は代理人により手形行為がなされた事実を知らない場合が通常であろうから、この解釈を手形におけるいわゆる署名代理の場合にも形式的に厳格に適用するならば、手形上の署名代理の場合には表見代理の規定を適用しないのと同一の結果をもたらすので妥当ではなく、従つて手形行為における右の要件はこれを緩和して当該手形行為がその行為をする権限を有するものによつて真正になされたものと信じ、かつかく信するにつきもつともな理由を有したことをもつて足るものと解すべきである。
(ト) そして本件についてこれをみるに、被告は本件各約束手形が振出される以前にも、本件各約束手形と同一の振出名義による約束手形をその代理人訴外伊藤及び復代理人訴外生駒をして振出さしめ、これを大阪市内のいわゆる街の金融業者に割引かせて金融を得、各手形の満期が到来すると更に同様に割引きさせて得た資金をもつて決済をなさしめていたことは前記一、で認定したところであり、一方、証人小西文典の証言及び原告富和商事代表者河副美夫本人尋問の結果によれば、原告等はいわゆる街の金融業者であつて手形割引の形式によりひろく金融をしていたものであるが、本件各約束手形を取得する以前にも本件各手形と同一振出名義による手形を数度割引いたことがあり、右各手形はいずれも満期に異常なく支払われたこと、また同一振出名義による手形が他にも広くいわゆる闇金融市場を流通しており、それらの手形はいずれも満期には異常なく決済されていることを知つていたこと、本件各約束手形について原告松田は訴外小西文典をして、原告富和商事は訴外建部安正をしてそれぞれ各手形を被告大阪事務所に持参させた上、各手形が振出権限ある者によつて真正に振出されたものかどうかを照会せしめ、更に同様に支払場所たる株式会社大和銀行平野町支店に各手形を持参させてその記名印及び所長印が届出済のものと一致するかどうかを照合せしめ、いずれについても安心できる回答を得たので、原告等は各自その手形が権限ある者により真正に振出された手形であると信じてこれを割引により取得したことを認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はなく、このような事実を総合すれば原告等は本件各手形が何れも振出権限を有する者によつて、真正に振出されたものと信じてこれを取得したものであり、かつかく信ずるにつきもつともな理由を有したものということができる。
(チ) 被告に会社が手形行為をなすには代表権限ある機関の署名もしくは記名捺印によらねばならないところ、本件各約束手形の振出は被告の代表権限を有しない訴外伊藤友武名義によつているから振出人の署名もしくは記名捺印は無きに等しく本件各約束手形は手形要件を欠缺して無効であると主張する。
会社自らが手形行為をなすには代表権限ある機関が本人たる会社のためにすること及び自己の代表資格を記載し自己の署名もしくは記名捺印をすることが必要とされることはいう迄もなく、本件各約束手形には「日本坩堝株式会社大阪事務所所長伊藤友武」なる振出人の記名及び大阪事務所長印の押捺があるところ(この事実は甲第一号証の一、二の各外形上の記載自体から明らかである)、株式会社の代表機関は原則として代表取締役であつて事務所長の如きは株式会社の代表機関とは言えないから、本件各約束手形の振出が被告会社としての振出であるならば正当な手形行為はなされていないと言わざるを得ないこと被告主張のとおりである。
しかし、会社は代理人をして手形行為をなさしめることもできるのであつて、代理人の手形行為については、代理人が本人のためにすること及び代理資格を示して自己の署名もしくは記名捺印をすれば足り、右以外には何等一定の表示形式は存しないのであるから、およそある振出人の署名もしくは記名捺印に会社名及び役職名の肩書が附されていた場合には、それが代表資格の表示と認められないならば代理人の代理資格及び本人の表示と認めることも可能なわけであり、本件各手形における前記表示はいずれもこの代理資格を表示したものと認めることができる。そうすれば本件各手形の振出人の記名捺印は代理人の手形行為としての外形を備えていることが明らかであるから、本件各手形は手形要件たる振出人の署名もしくは記名捺印を何等欠缺せず、被告の主張は本件各手形の振出を会社代表行為による振出と曲解するものであるから採用できない。なお付言するに訴外生駒は被告代理人たる訴外伊藤により選任されて被告の復代理人であつたものであるが、復代理人は代理人を代理するものではなく直接本人を代理するものであるから、その復代理人自らの名を手形面に顕出し本人を代理して法律行為をなし得るのである。しかし、いわゆる署名代理を認める立場においては、復代理人は直接本人の名において手形行為をなし得るのみならず、本人から代理人の名義において本人に法律上の効果を生ずべき行為をなすことを許されていた場合には、右の代理人名義を用いた手形行為もまた有効な代理行為と認めることができる。これを本件についていうと、
訴外生駒は「日本坩堝株式会社大阪事務所所長伊藤友武」名義で被告を代理して手形を振出す権限を与えられていたのであるから、右振出がその権限の範囲内で(即ち訴外伊藤の大阪不在中に)なされた限り右生駒の被告に対する正当な権限に基いてなされたもので、これにより被告は振出人としての責を免れない筋合のものであり、仮りに右振出が訴外生駒の権限の範囲外でなされたものであつても、表見代理の成立が認められる場合であれば同様本人たる被告に責任を生ずべきものであるということができる。
四、而して証人小西文典の証言及び原告富和商事代表者河副美夫本人尋問の結果によれば、原告松田は訴外河副美夫及び同小西文典の仲介の下に、原告富和商事は訴外建部安正の仲介の下にいずれも被告天和興業から本件各手形の裏書譲渡を受けた事実を認めることができ、前掲各証拠並びに弁論の全趣旨によりその成立を認めることができる甲第一号証の一、二の各符箋部分を総合すれば、原告等はそれぞれその主張の如き手形を満期に支払場所へ呈示した事実を認めることができる。また原告等がそれぞれその主張の如き手形を所持していることはその各手形(甲第一号証の一、二)の外形上の存在及び弁論の全趣旨からこれを認めることができる。以上の認定に反する証拠はない。
五、最後に被告のいわゆる融通手形の抗弁について考える。
通常融通手形といわれるものは他人に信用を与える目的で振出又は裏書等の手形行為がなされた手形を意味するが、いわゆる見せ手形などの場合は別として、融通者は通常被融通者をして右手形を他に譲渡せしめ、これによつて得た対価によつて被融通者に金融を得せしめることを目的とするのであり(被告が本件で主張するのはまさに斯かる場合である)、融通者は右の手形について手形行為者としての責任を負担しなければならないことを予期して手形行為をするのであるから、後日、被融通者からの請求はこれを拒絶し得ても、右以外の第三者たる所持人に対しては、たとえその第三者が該手形が融通手形であることを知つて取得したものであつても、融通者はこれを人的抗弁として対抗することができないのである。従つて本件各約束手形が融通手形として振出されたものか否か、また原告等は右の事情及び被告を害することを知つて右各手形を取得したか否かにつき判断するまでもなく被告の抗弁はその理由がないことが明らかである。
六、以上のとおりであるから、結局被告は本件各約束手形について振出人としての責任を負うべきものであつて、右各手形金及び右金員に対する満期の翌日から右各金員完済に至る迄それぞれ手形法所定の年六分の割合による法定利息の支払を求める各原告の第一次請求はいずれも理由があるということができる。
第二、原告両名と被告天和興業の関係
被告が原告等主張の各約束手形に裏書さしたことは原告等と被告間に争いがなく、その余の原告等主張事実を被告は明らかに争わないからこれを自白したものと看做す。被告は、本件各約束手形が手形要件たる振出人の署名もしくは記名捺印を欠缺している旨の被告日本坩堝の主張を援用し、かかる基本手形上になされた裏書は何等法律上の効力を生じない旨主張するが、本件各約束手形が手形要件たる振出人の記名捺印を何等欠缺しないことは第一、三、(4) に前述したところから明らかであり、被告の主張は採用することができない。そうすれば本件各約束手形金とこれに対する満期の翌日から右金員完済に至る迄それぞれ手形法所定の年六分の割合による法定利息の支払を求める各原告の請求はいずれも理由があるということができる。
第三、結論
以上のとおりであるから、各原告の被告日本坩堝に対する第一次請求及び被告天和興業に対する請求をいずれも正当として認容することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 宅間達彦 安芸保寿 稲守孝夫)